井上えいじ の ブログ



 ご案内のように3月予算議会は3月14日木曜日に各種議案の採決で終了しましたが、最終日には各会派から色々な意見書や決議が採択を求めて提案されてきます。そこで、市民の皆さんに誤解されないように、唯一

私だけが反対した以下の<北朝鮮による・・・>決議案に対しての反対討論をアップいたします。


<北朝鮮による核実験強行に断固抗議し、核・ミサイル計画の即時中止と朝鮮半島の非核化へ誠実な努力を求める決議(案)>
議席番号19番の井上であります。<北朝鮮・・決議>について反対の立場で討論を行います。


先ずこの決議案には日本への脅威・核攻撃や生物化学兵器への不安とその対策の文言がありません。原案が1昨日修正され、拉致問題の解決と国連決議に基づく制裁強化の文言が入りましたが、未だに不十分であります。
マスコミ報道によれば、日本全域を射程にいれる射程1300kmの中距離弾道ミサイル・ノドン、韓国を狙う短距離弾スカッドへの核弾道搭載に大きく近づいたそうであります。そして、ノドンは150~200発、スカッドは640発が配備され、約80台の発射台付き車両で移動可能のため発射の兆候を探知するのは困難と言われています。しかも最近、北朝鮮は韓国との相互不可侵合意を全面的に破棄すると宣言し今にでも戦争開始するぞ・・と言わんばかりの勢いであります。安全保障は、その国が日本を攻撃する能力と意思で決まります。北朝鮮は既に、日本を攻撃できる能力を持っているのです。

個の様な情勢の中、日本にとっての深刻な核の脅威や生物化学兵器への不安、そして、その対処方法こそ提案するべきではないかと思いますが、何故その文言が無いのか。それは、それに触れれば日本のミサイル防衛体制の強化と日米安保条約の強化が必要になるからであり、原案を作成した、日米安保条約反対の共産党さんの到底受入れることが事が出来ない事だからだと推測できます。

しかし今、真に必要なことは、米軍の所有するミサイル探知能力であり、それらの情報によるミサイル迎撃能力の向上ではないでしょうか。その大切な部分の脱落した決議案は、誠に不十分と考えます。

次に、この決議の言う、核兵器全面禁止と言う文言はどの様な意味で使われているのでしょうか。核兵器の無い平和な世界の実現は、全世界の望みであり、被爆国の日本においては、原水爆禁止運動・平和運動が展開されてきた歴史があります。ところが、原水爆禁止運動は又、分裂の歴史でもありました。


ご承知のように1954年の静岡県焼津の漁船=第5福竜丸が核実験による被爆を受けたことを切掛けに1955年9月、原水爆禁止日本協議会=原水協が発足しました。処が、1961年のソ連の核実験や1964の中華人民共和国の核実験を巡って意見が対立。1961年には立教大学学長の松下正寿さんを議長に核禁会議が分裂し発足。1965年には原水禁が、やはり分裂し発足しました。

その原因を核禁会議のHPでは<資本主義陣営の原子爆弾は戦争のための汚い兵器で、社会主義陣営の原子爆弾は平和のためのきれいな兵器です>という共産党系の主張と<いかなる国のいかなる理由による核兵器も許さない>と言う共産党系以外の、意見対立から運動の分裂を招いた、と指摘しています。そして、現在も尚、運動組織統一は行われていません。

当時、共産党の参議院議員であった岩間正男さんは1964年10月30日の参議院予算委員会で、次のように発言しています。<社会主義中国が核保有国になったことは、世界平和のにために大きな力となっている。元来、社会主義国の核保有は帝国主義国のそれとは根本的にその性格を異にし、常に戦争に対する平和の力として大きく作用しているのであります。>

だとすれば、この決議は、原案を作成したのは共産党さんですから、核兵器全面禁止と言う文言は一般国民の理解を超えた=社会主義国=平和勢力論で書かれていると理解します。そして北朝鮮の核だけ反対で、中国やロシアの核兵器はOK、と言う理解になりますので、あらゆる国の核兵器に反対だ、との立場からは賛成できません。決議提案は、国民向けのパフオ-マンスともさえ受け取れるのです。

そして次に。尖閣問題意見書でも松本議員は植民地支配などの歴史認識を取上げていましたから、共産党自身の歴史認識を振り返ってみます。北朝鮮が核実験を行う理由として米国に敵視政策を辞めることだ、と言っていますが北朝鮮と米国が対立している根本原因は1950年6月勃発した朝鮮戦争です。この朝鮮戦争に対して原案を作成した共産党さんの歴史から考えると、今回、北朝鮮による核実験強行に断固抗議するという態度には理解が及びません。一体、朝鮮戦争は北朝鮮が侵略してきたのか、米国を中心とする国連軍が侵略したのか。

日本共産党は今まで、日本共産党の45年では、こう言っていました。
 <アメリカ帝国主義は、6月25日我が国を前進基地として朝鮮への侵略戦争を始めました>
 <我が党の党員は、事実上の党の分裂という困難な状態にもかかわらず、敵のあらゆる弾圧に抗して、我が国を基地とする朝鮮侵略戦争に反対し、ポツダム宣言にもとずく全面講和、民主主義と人民の生活向上のために人民の先頭にたって不屈に戦いました。>と書いていました。
(日本共産党の60年年表)でも<6・28朝鮮人民軍、ソウルを解放>と言っていました。

この認識は、コミンフオルムからの命令で、日本全土で朝鮮戦争の後方補給基地における武力かく乱のため、約2000人とも言われる中核自衛隊・山村工作隊などの武装闘争方針を1951年10月の第5回全国協議会=5全協で決定。スタ-リン綱領と言われる51綱領を決定し、1952年5月や7月の火炎ビン闘争を計画し、警察署襲撃等を行ったからです。火炎瓶闘争については、朝日ジャ-ナル1976年1月30日号で、中核自衛隊員の対談が載せられています。

これを、<指導部が分裂していて統一した中央委員会の方針ではなかった1968.6NHK><党が分裂と混乱に投げ込まれた事態>で一部の者が極左冒険主義をやったのだ、と弁明していますが、日本共産党の副委員長をしていた袴田里見さんは<昨日の同志 宮本顕治へ>で<武装闘争方針が、朝鮮戦争の前線基地としての日本を、後方から撹乱させようという、ソ連の戦略構想から出ていることは明らかだった・・>と書いていますし、1967年の警察庁警備局の<回想。戦後主要左翼事件>でも、或いは産経新聞出版発行で兵本達吉さんの<日本共産党の戦後秘史>でも指摘されているところです。ですから、スタ-リンが1953年3月5日に死去すると朝鮮戦争も1953年7月27日休戦協定が成立し、日本共産党の闘争もピタリと終わります。
ところが、(日本共産党の70年)では、次のように書き改められています。

<1950年6月25日、・・38度線で大規模な軍事衝突がおき、全面的な内戦がはじまった。・・この内戦は、実際には、スタ-リンの承認のもとに北朝鮮の計画的な軍事行動によってはじめられたものであった。>と北朝鮮の侵略とも読める表現に変更されています。

朝鮮動乱がアメリカ帝国主義の侵略戦争なのか?北朝鮮の侵略なのか? チャンとした総括反省も無く、時代によって党の政策がコロコロと変わる政党から出される決議案に対し、どう賛成・反対を考えたら良いのか迷うところです。


もし、朝鮮戦争がアメリカ帝国主義の侵略戦争で有るというならば、今回の北朝鮮の砲撃は、米国の侵略に対する英雄的な行動!となるでしょうし・・・
もし、朝鮮戦争が、北朝鮮の侵略であると言うならば、休戦協定以後の北朝鮮の今日までの行動を振り返り、北朝鮮のヨンビョオン島砲撃や核開発と言った点だけに絞らず、日米安保条約の強化、自衛隊の戦力強化、日本人の拉致被害者の返還、そして核兵器の放棄 を言うべきではないですか?


従ってこの観点からも、決議案は国民向けのパフオ-マンスと受け取れるのです。
以上のことを申し上げて決議案には反対いたします。
  1. 2013/03/16(土) 10:22:28|
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